ガルの随筆

随筆的なアレ

悲しみの種類

 

2020年が終わる。

 

月並みな表現でも、何もなかった1年だった。

 

真っ当な社会人になって4年弱。

 

昔に比べると1年1年の重みが減ってきたような感覚があった。

 

そういう意味でも「なにもなかった」とすら思えるこの1年が貴重だったと気づく。

 

 

 

悲しみにも多分種類がある。

 

みじめになるような悲しさはごめんだが、

 

嬉しくなるような悲しさが仮にあるとすれば。

 

それはいいものだと思う。

 

久しぶりに友人と再会した。

 

オンラインで。

 

毎日のように一緒にいた友人だが、

 

大人になってから

 

ましてやこの状況ではいつぶりかの再会だったわけである。

 

いつ以来かは正直覚えてない。

 

話す内容と言えば、少し大人になったから仕事の話だったり、

 

昔と変わらない他愛もない話だったり。

 

そこでなんともいえない悲しい感覚になったわけである。

 

ただそれは決してみじめなものではなく、

 

なんだか心地のいいものだった。

 

仕事を始めてからなんとも淡々と過ごしてきた日々があって、

 

ふと旧友と会話すると我々の中では記憶があの日のままで止まっていることに気づく。

 

会話の内容が変わっても、確かに変わらないものがある。

 

それを感じるとなんだか懐かしいような悲しいような気持になる。

 

多分悲しさの方が強い。ただ不思議と悪い気持ちではない。

 

昔のままの心地よさがあることに対する悲しさは、

 

いわゆる"nostalgic"というものだろう。

 

それを感じて、よし頑張ろうと思えるこの感覚はきっと悪いものではない。

 

嬉しさにも種類がある。

 

味わったことはまだないが、人を蹴落として自分が成り上がった時に感じる嬉しさもあるだろう。

 

ただそれがいいものかと言われるとそれはわからない。

 

色んな感情にも種類があって、

 

あとでよかったと思える感情ばかりで人生を彩りたいと感じたのであった。

 

その友人たちといつ会ったかははっきり思い出せないのに、

 

ここまで思える理由は、きっとそれが知らず知らずのうちに心地いいから。

 

こう楽しい時を過ごしたら次すぐ話そうねとなるのに、

 

きっとそうはならない。

 

けどそれでいい。

 

いつでも帰られる空間があるから。