下手くそ
人の文章を読むと、よく使う言い回しや表現がよくわかる。
そして、別に文豪の文章ばかり読んでいるわけではないので当然と言えば当然なのだがだいたい下手である。
なんか、「あ〜、もうこう書くしか引き出しなかったのね」って感じ。
例に漏れず私もそう。
具体的にどこがどうなのかは自分ではわからないけれど、
きっとそうでしょう。
今回、別に文章の上手下手を語りたいわけではない。
こうして、発信すること(表現すること)ではじめてそれがわかることを言いたい。
人間は誰しも自分を基準にしてモノを考えるので、
あっためてあっためたアイデアは一世を風靡できると思うこともあったりするのだが、
大体はそんなことなくて穴がいっぱいあり、
誰かに指摘されてそれに気づく。
そんな大それたアイデアではなくても、大体はそんなもんである。
それこそ文章なんていうものはその最たる例で、
別に自分は文章の勉強をしたわけでもないし、
影響を受けた作家を語ることができるほどには文学に精通していないがこうやって文章を書いている。
多分世の中、特にネットにはこういうクソみたいな文章が溢れていて、
みんな自分が書く文章を正義と思っている。
考え抜いたもの、あるいは心の叫びを綴ったもの。
何れにせよ文章はその人を表す。
私はこの文章を、赤ペン先生にたっぷりと添削されても構わない。
思うがままに綴っているこの文章が自分自身の表現だからである。
とは言ったものの、人に読んでもらえる文章をゆくゆくは書いていきたいので、
国語の教科書を引っ張り出さないといけないなぁとも感じる日々である。
よく、ネットニュース(主にYah◯o!)で執筆者の文章力を批判するコメントを見るが、
正直言って文章だけで生計を立てている時点で便所の落書き程度のヤ◯コメを書く人たちよりは文章力があると思うのである。
少し話が逸れてしまったが、とにかく発信することは重要である。
自分が成長していくためには多くの人に感性に触れて、もまれていく必要がある。
こんな文章でも、少しの人が反応してくれたりすることでやりがいをもって書いていけそうである。
多分、8年後ぐらいにはノーベル文学賞の候補に挙げられていると思うので、是非☆をつけていってほしい。
・・・
最後の方で5回ぐらい
〜ある。 を使っているようだ。
これが、稚拙な文章の例である。